新しい酒は新しい革袋に

向井亜紀さんの最高裁の判決が出たみたいだ。代理出産の双子について実の母とは認められないとのこと。詳しく調べてもいないし裁判の経緯も追っていないが判決には違和感を感じる。夫妻の精子卵子が受精したのであればそれは夫妻の子供だと自分は思ってしまうのだが。サイエンスの進歩に法律や社会の認識がキャッチアップしてないということなのかな?
それに、子供は家庭だけでなく地域社会も一緒に育てていかなければいけない、みたいなスローガンを聞いたことがあるけどこれとは正反対の判決なんじゃないのかな。世間の常識の強固な保守性みたいなものを感じてしまう。
自分も介護の仕事をやっていて高齢者のご家族と話す時があり学歴を聞かれる時が何度かあったが、「慶応にいってまでどうしてこんな仕事をやってるの??」と言われたことがある。かなりガックリさせられた言葉だったがその言葉を発した人が民生委員をやっている人でもあったのでダブルパンチだった経験がある。その頃は大学を中退したというインパクトも解消できていた頃だったのでわりと純粋に「おじいちゃんおばあちゃんにとても勉強させてもらってます」と答えることができたが、いわゆる「世間の常識の声」みたいなものを聞いた感じがした。
去年あたりから人口は増加から減少に向かい始めた。明治からつづいた社会システムの根本的な部分が変化を余儀なくされているわけだが、見渡す限り古いシステムのままで、ほころびが生じたところにはなんとかツギハギをしてやりすごそうという印象を日々感じてしまう。人の意識も当然そんな感じだ。このインパクトはボディブローのようにじわじわと効いてくるものだと思う。
「新しい酒は新しい革袋に」という言葉があるように次世代のシステムは次世代の意識を持つ人だけがつくることができる。ことさらに世代間格差が強調されたりもするが、介護の仕事をして糊口をしのいでいる人間に言わせればそんなことは自明のことであり大前提である。大事なことはどうやってそれを克服していくのかという事だ。高齢者や障害者といった人たちとどう関わっていくのかという問題は単に社会保障制度上の問題であるだけでなく一人一人の人間が自分の人生をどう豊かにしていくかというテーマにもなりえることだと思う。