六ヶ所村

理想論がなければ現実はもっとひどくなる

自民党衆議院議員河野太郎「ごまめの歯ぎしり」ブログより

坂本龍一さんもSugizoさんも相当な圧力をかけられながら、六ヶ所村の再処理工場の問題に取り組んでいる。
東芝EMIは、関係者が原発に関する活動をすることを御法度にしていたそうだし、テレビ局もスポンサーからの圧力で、原発に関する発言をする歌手や俳優には冷たいということを関係者から直接、聞いたことがある。
批判的な声に対しては、金やその他の力を使ってわーっと声を上げて封じ込めようとするのは、だれかによく似てやしませんか。
批判的な声を上げさせないように、一体電力会社は、メディアにいくらばらまいているのだろうか。それも消費者の電力コストにはね返ってくるのだ。

エネルギー戦略研究会なる組織が、坂本龍一さん他の「ロッカショ:2万4000年後の地球へのメッセージ」に対する反論なるものを出している。

しかし、めちゃくちゃだ。
「再処理費は税金ではなく、電気代金の一部として受益者が負担することを認識していただきたい」
どちらにしろ、現時点では意味のない再処理のコストを国民が負担することになる。電気代金は、税金と違って、国会で議論されることもなく国民が負担することになる。もっとタチが悪い。

上記「エネルギー戦略研究会」の反論は以下より

反論を読んでみたが、どうもしっくりこない。書いてあることはいちいちもっともだし、文章の最後に30名ものオエライサンの名前が載っているけれど、これは誰の言葉なのかな?。30名が一同に会して決めたわけではないだろうし。感情的に書きたくはないけれど、反吐がでそうになる。
「何か問題があるがシンプルな言葉でシンプルな解決方法を提示できない時は、その問題が複雑であったほうが都合のいい人たちがいる。」という命題はTRUEであると経験から断言できる。これと同じで「長い目でみて原発はあったほうがいいのか。それともないほうがいいのか」という問題は人類にとって「ないほうがいい。原発をなくせばいい。」というのが一番シンプルだろう。もっともラディカルだが。
すべての電力を原発に切り替えたとして、二酸化炭素の排出は少なくなるかというとそうでもない気がする。パーキンソンの法則(wikipediaより)の通り、あればあるだけ使ってしまうのがオチだと思う。
個人的にはある日「電気がなくなりました。今日から電気なしで過ごして下さい」と言われても全然OKだけれどね。なきゃないでなんとかするのが人間。